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2022.05.17

遊山箱について

こんにちは
山文スタッフaiです。

今日はHPからよくお問い合わせいただく
遊山箱についてご紹介させていただきます♪

そもそも遊山箱とは・・・

遊山。聞いてるだけで、心がウキウキしてくる響き。吉野川流域を取材していると、『子どもの頃、よう吉野川に遊山に行ったよ。遊山に巻き寿司とか、ようかんとかいっぱい入れてな。たのしかった』という思い出話を伺うことが、多くあります。

このお弁当を持って、山や海に出かけるという遊山とは、もともと春の農業の始まりの時期を控え、田の神を迎える祭りだったと考えられています。と庄武さん。3月の節供前後に遊山の風習は全国的にあったとみられてますが、徳島でよく聞かれるのが、旧の3月3日だけでなく、3月4日を『シカノアクニチ』と呼んで仕事を休み、遊山をして過ごすというのは、徳島と岡山に伝わっていることが報告されており、全国的にみても特徴的な風習だそう。

これは、3月3日などの主要な節供の翌日は、仕事を休み、身体を慎む日とされていたことからだそうです。シカノアクニチという名前は、大滝山(現在の徳島市眉山町大滝山)に遊びに行き、どこも人であふれ、大滝山にいる鹿にとっての悪日、鹿の悪日であるとか、3月3日の遊びを徹底させるから、四日の飽日であるとか言われていますが、本当のことはよくわかっていないそうです。遊山箱の風習は、文化3年(1813)年頃から、幕府に命を受けて、国学者 屋代弘賢(やしろひろたか)が年中行事や、冠婚葬祭などについて諸国に送った質問状『諸国風俗問状(しょこくふうぞくといじょう)の答えである『阿波国風俗問状答 市中歳節記』(筆者不明・年代不明)の3日ひなまつりの事に、

此の日、男女子供、べん当を持たせ、船にて、汐干に遊び、山にたわむれ申候

との記録が残っており、この頃には、遊山の風習があったという事になる。遊山は、もともと、野遊び、磯遊びということだけではなく、自分たちの暮らしにとって、重要な田を神として敬い、大切にしていたまつりごとであったこと、江戸時代からその風習があったということを知ることができる。人々は季節の移り変わりを肌で感じ、季節ごとの行事をとても、大切にしていたことが伺えます。

引用:遊山箱とは:徳島県立博物館:学芸員(庄武憲子氏)

引用終わり!!!

山文では貼箱の技術を活かした遊山箱を製造しております。
貼紙には阿波手漉き和紙のいんべ紙を使用。

一点一点
職人が手貼りで貼り上げていくため
製造にあたって時間がかかります。 

しかし出来上がった遊山箱は
和紙のあたたかさと
紙ならではの優しい風合いで
その場を魅了させます。

徳島の伝統である遊山箱と
徳島の伝統である手漉き和紙
類を見ない箱です♪

弊社職人さんに感謝!!!

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