紙を漉き、紙を加工し、紙を売り、紙に感謝して150年「山文の歴史」江戸時代後期の創業から今日に至るまでの山文の歴史をご紹介いたします。

手漉き和紙の一大集積地、麻植郡川田村にて創業

今を遡ること150年以上前。浦賀に黒船が来航し、世は幕末の動乱が始まろうとしていましたが、ここ阿波の国、麻植郡川田村の農村地帯には、ゆるやかな時間が流れていました。
当地は忌部(いんべ)氏によって始まったという阿波手漉き和紙の製造が1300年にわたって受け継がれ、江戸末期には障子紙などの産地として数多くの手漉き業者が集積していました。
ここ川田村に住む山根丈兵衛・國蔵父子も、農業のかたわら、手漉きによる和紙製造を始めたのです。

突然やってきた、どん底の時代

農業の片手間で始めた和紙の手漉き業でしたが、明治から大正時代にかけ、当地の和紙産業の隆盛に伴って、山根家の屋台骨を支える事業として着実に成長。山根文兵衛は川田村の手漉き組合で組合長を務めるまでになりました。
 
ところが、関東大震災翌年の大正13年、川田手漉き組合が突如、倒産したのです。相場取引の失敗などが原因でした。組合長の文兵衛は倒産の責任を取って全財産を処分、北海道開拓民として移住することを覚悟しましたが、親戚の援助によって文兵衛はこの地に留まることができたということです。
 
組合の倒産後、戦時中に至るまで、文兵衛は残った畑で耕作しながら、細々と紙を漉いて生計を立てました。大変な苦労をしたそうですが、文兵衛がこのとき北海道に移り住んでいたら、「紙箱の山文」の歴史はなかったでしょう。

紙の製造から加工・販売、そして貼り箱製造へ

山根家にとっての大きな転換点は、戦後まもなくやってきました。昭和23年、文兵衛の四男、文夫が、一年間抑留されていたシベリアから生還。帰郷後、文夫は地元に設立された川田製紙にいったん入りましたが、「物資不足の世の中、紙そのものよりも紙の加工品が求められている」と判断し、手漉き和紙から分離独立。昭和24年、包装資材の加工業として「山文紙工所」を設立しました。
 
原料不足から粗末な洋紙しか調達できませんでしたが、文夫はこれを紙袋に加工して販売を開始。ほどなくして、戦争の混乱から世間は落ち着きを取り戻し、あらゆる産業が活況を呈してきました。中でも小売業者が商品を包む袋や包装紙を求めて「山文紙工所」に次々と注文をくれたのでした。駄菓子などを入れる小袋に始まり、布団の綿を包む大型の袋などが飛ぶように売れました。
 
文夫が「紙袋」に加えて「紙箱」を製造し始めたのは昭和30年頃です。紙袋を卸していた菓子店から、お祝いやお土産用の饅頭を入れる「貼り箱」の注文が入るようになったため、貼り箱の技術を習得し製品化しました。
饅頭の箱だけでなく、着物の反物を入れる大型の貼り箱、四国八十八箇所の札所で納経用の掛軸を入れる長い箱など、顧客の要望によってどんな貼り箱でも作れる地元随一の紙工業者として、山文は多忙を極めました。

山文の飛躍を支えた「段ボール」

2年ほどすると、新しい箱として「段ボール箱」が世の中に出回り始めました。段ボールは扱いが手軽で非常に丈夫。農作物を運ぶのに最適の入れ物でした。文夫はいち早く愛媛県の段ボールメーカーと提携し、この地域における農業資材としての段ボールの販売を一手に引き受けたのでした。
 
貼り箱はオーダーメイドで、機械化はすすめても手作業が必要なので、売れても製造能力に限界がありました。一方で、段ボールは規格品であり、地域の農協などを通じて一度に大量にさばけたことから、山文にとって大きな利益の柱となり、今なお主力商品であり続けています。

原点を忘れず、時代に即した事業のありかたを探求

昭和55年、山根文夫の死去に伴い山根正伍が事業を継承しました。翌昭和56年に本社工場を山川町前川に新築移転。昭和59年には法人化を進め、株式会社山文を設立。その後も県内の農協を主な顧客とする農業資材や段ボールの販売を順調に進め、一般企業や商店との取引も活発に行い、事業規模を拡げていきました。
 
業容の拡大にともなって、平成8年には現在の本社所在地である山川町堤外に包装資材の加工物流センターを新築移転。

その後現在に至るまで、経営革新の認定やISO、FSCの認証取得など新しい時代に適合した事業のあり方を探求しつつ、原点であるものづくりにおいては、培った技術に磨きをかけ、「手作りの温もり」と「技」にこだわり、妥協のないクオリティーの高い商品づくりに取り組んでいます。

阿波紙の伝統を受け継ぎ、新しい文化の創造へ

平成21年、東京営業所を開設。デザイナーとのコラボによるオリジナル商品開発、インターネットショップの開設など、私たちは今、新しい時代への事業スタイルを模索中です。ローカル企業からナショナル企業へ。箱の世界のオンリーワンを目指して、「紙箱の山文」のブランド化にむけて、日々たゆまぬ企業努力を続けています。
 
山文の150年の歴史に連綿と流れるもの、それはこの地に根ざした「紙」への感謝です。私たちは紙を漉き、紙を加工し、紙を販売することで、地域社会とともに生き続けてきました。阿波紙の歴史を後世に伝えるとともに、紙の新しい文化を切り開いていくこと。これが今後の私たちに課された山文の使命であると考えています。

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